きよしこのよる こいしこのよる ゆきふるよる
ふたりこのよる ともにこのよる
────いとしきみと
点滅を繰り返していた信号機が、何度目かの青になった時、亘はなんだかフラフラした足取りでゆっくり美鶴達のいる方へとやって来た。
そのおぼつかない足取りに美鶴は心配になって、思わず亘のほうへ駆け出そうと一歩前に出た。だがすぐにハッと香織の方をちらと見て、その足を止める。
香織はそれを見て心底怒ったような顔をすると、手を美鶴の背中に伸ばしドン!と、思い切りよく突き飛ばした。
「少しは大人になりなさい!」
香織のその言葉に美鶴は雪の中、たたらを踏んで躓きそうになりながらも、意を決したように息を吸い込むと静かに亘の方へ歩き始めた。
外はもうすっかり日を落としてはいたけれど、雪明りと瞬き始めた街灯のせいで、昼間とさして変わらない気のする明るさを呈してる。
ゆっくりゆっくり、まるで映画のスローモーションの場面のように、美鶴と亘は羽毛のように舞う白雪の中、自分たちも白い息を吐きながら近づいて行く。
ピタリと。
多分お互いまで歩足は後2、3歩分、と、いうところで二人は同時に立ち止まった。
立ち止まっても亘は左右にフラフラ揺れている。俯いている為、亘の顔の表情は伺えないが、あまりにも危なっかしいその様子に美鶴は心配になって両手を差し伸べようと手を上げる。
と。
次の瞬間、まるでスローモーションの場面が突如高速になったかのように、思い切りよく亘が美鶴の方に駆け寄って、その腕の中に飛び込み抱きついて来た。
「うわっ?」
さすがの美鶴もそのあまりのいきなりな行為に、亘に抱きつかれた形のまま倒れそうになった。けれどすぐに体勢を立て直すと、腕の中に飛び込んできた亘の背中に手を回し、戸惑いながらも抱きしめ返す。そしてすがりつくように自分を痛いくらい抱きしめて来る亘の耳元で優しく名を呼んだ。
「亘・・・?」
「・・・・だ、」
「え?」
「・・・・美鶴とケンカしたままなんてやだ。一緒にクリスマスできないなんて・・・やだ。
美鶴が・・・・美鶴が、他の誰かと・・・クリスマス過ごしちゃうなんて・・・やだよ」
「亘・・」
「一緒がいい・・・・一緒にいたい。美鶴と一緒がいい・・・。ケンカなんてやだ、やだやだ。
美鶴の傍にいたい。美鶴の傍がいい・・・。みつるみつる・・・美鶴」
いつのまにか半分しゃくりあげながら、亘はギュウウウ、と更に美鶴の背中をきつく抱きしめる。
まるで小さな子供みたいに。
そしてゆっくりゆっくり顔を上げると、溢れてる涙をぬぐおうともしないまま、美鶴の背に回していたその手を今度は首の方に回し、背伸びをしながら顔を美鶴の耳元に近づけた。そしてまた、ギュウッと抱きついてくる。反動でまた体勢を崩しそうになった美鶴は慌てて今度は支えるように、亘の頭と腰に手をやり抱きしめた。
「・・・大好き」
亘の体を支えるのに必死になっていた美鶴は、小さく囁かれたその言葉に最初反応できなくて何度も目を瞬いてしまった。
「・・・美鶴が好き。大好き大好き・・・大好き、だから」
雪が舞う。
さらりさらりと。音も無く。
その純白の天からの贈り物は、ときに見る者の時刻(とき)をつかの間止める。
その時間を、その玉響(たまゆら)な一時を真白な静寂の中、永劫の時間に閉じ込めるように。
───今この一時を共に過ごす恋人たちの願いと共に。
多分、世界中の恋人たちは知らず気づいているのだ。
───このほんの一時が一瞬であり、永遠である事に。
だから特別にしたい。大切なあなたといたい。傍にいて。傍にいたい。・・・・君といたい。
一番大切で大好きで誰よりも誰よりも───愛しい君と。
美鶴は亘の肩に顔を埋め、亘以上にきつく亘を抱きしめ返す。そして震えながら、ほんの少しかすれた声で、けれどはっきりとこれ以上ないくらい幸福そうに微笑みながら呟いた。
「好きだ・・」
亘が静かに顔を上げる。泣きじゃくって真っ赤になった目から小さな雫がポロリと零れ落ちた。
「亘が好きだ。・・・大好きだ」
「みつる・・」
雪明りの、真昼よりほんのり優しい光が二人を照らしている。
いまようやく降り続いていた雪は、その姿をほんのりひそめ始めて来て、お互いを包むように抱きしめ合ってる美鶴と亘に白い花の花弁のような幾片かを・・・ハラリと落としていた。
「やれやれ」
溜め息と共に呟かれた呆れたようなその一言に、香織は振り返る。宮原が両手にスーパーの袋を掲げながら軽く息をついていた。
宮原は自分をじっと見てくる香織に気づき視線を向けた。と、同時になぜかなんとなくお互い苦笑いをし合ってしまった。香織が伺うように宮原に声をかけてきた。
「ひょっとして・・・三谷くんと芦川くんのお友達?」
「え?・・・君は?」
「せっかくの聖なる夜に困った恋人たちに振り回されて、損な役回りでとばっちりを食った天使かな?」
その香織のおどけたような物言いに思わず宮原は噴出す。香織が緋色の傘をポン!と広げると宮原の上にかざした。
「察するとこ、あなたも似たようなものでしょう?どう?似たもの同士そこのカフェでお茶でもしませんか?やっと雪が止んだからもうすぐ電車は来るみたいだけど、それまでの間お付き合いしてくれると嬉しいわ」
「それが天の御声なら仰せのままに。こちらこそしばし可憐な天使様に是非、お付き合いさせて下さい」
宮原は軽く会釈するとそう言い、微笑みながら香織の傘に入る。スッポリと緋色の大きな傘が二人を包んだ。
そして二人並んで、さくさくと雪を踏みしめるように確かめるように歩いていく。
香織は歩く自分の足元を見つめながら、なんだか想いを巡らせるような少しだけ寂しい瞳で、隣の宮原にだけしか聞こえないような、囁くような小さな小さな声で呟く。
「でもね。悔しいけど。・・・わたし実は、三谷くんのこと大好きな芦川くんも・・・大好きなの」
「───ああ、うん。俺もだ。とばっちりばっかり食ってるのに、だからかなぁ。なんかいっつもうやむやにして許しちゃうのって。困ったもんだよ」
呟いた言葉にさりげなくすぐに同意の返事が帰ってきて、そして宮原の諦めたようなその返事の内容に香織はきょとんとしながらも思わず笑い出していた。
「天使の君は笑ってる方がいいよ」
暖かい羽毛のようなふわりとした宮原のその言葉に、香織は思わず立ち止まる。そしてすぐに本当の天使のような綺麗な微笑を浮かべるとコクン、と頷いた。
「ありがとう」
もう雪は止んでいて傘はいらなかったけれど、二人はそのまま歩いていった。
「うう~・・・頭がフワフワするぅ・・・」
「亘、これ」
「・・え?何?」
美鶴は駅の高架の下に設えられているベンチに移動して、ふらついてる亘を座らせていた。
酔っていた亘の説明では要領を得なかったけれど、どうやら何かのアルコールを飲んでしまったのは間違いないようだったので、そのままでは危なっかしい亘をとにかく座らせようと思ったのだ。
「プレゼント。クリスマスの」
「え?うそ!ボク、何も用意してないよ・・・」
驚いて顔を上げ、そしてすぐに肩を落としてそう言う亘の手に、美鶴はずっとポケットに入れていた小さな包みを載せると照れくさそうに言った。
「美鶴、ちゃんとクリスマスのプレゼントのことまで考えてくれてたんだね・・・ボクなんか、そんな大事な事も忘れてた・・・」
「俺があげたいだけなんだから、そんなのいい」
「でも・・・」
「本とにいい。・・・それにさっきどんなものより嬉しいプレゼント、貰った」
「え・・・?」
美鶴は亘の横に静かに腰掛ける。そして優しく亘の肩に手を置くと頭を寄せて来て、耳元に嬉しそうに呟いた。
「一番嬉しい言葉を貰った」
「あ・・・」
次第に酔いが覚め始めていた亘は、美鶴の言葉に思わず肩をすくめて顔を赤くする。そして酔った勢いとはいえ、自分が美鶴にとってしまった行動の大胆さに冷や汗を流していた。
肩に置かれてる美鶴の手の体温が妙に熱く感じられて、胸の動悸までもがどんどん早くなって来る。
「え、えと・・で、でもあれは・・」
「本当のことなんだろ?・・・それとも違う?」
「そ、そんなこと無いよ。・・・ほ、ほんと、だよ・・・」
語尾は消え入りそうな小さな声で呟きながらも、必死にそう言う亘に美鶴は嬉しそうに自分の額をコツンと当てる。
亘も真っ赤になりながらも嬉しそうに貰ったプレゼントの包みを大事そうに両手に包む。
そしてふと思い出したような顔をすると、美鶴の瞳を上目遣いに覗き返しながら心底不思議そうな声を出して聞いてきた。
「・・・でも、なんでケンカなんかしたんだっけね?」
ポツリとした亘の問いかけに美鶴は目を見開くと、不可思議な表情を浮かべ亘から顔を離した。そして驚いたように聞き返す。
「・・・覚えてないのか?」
「え?うん。よく覚えてないんだ。・・・なんかビックリしたのは覚えてるんだけど、美鶴、僕に何かしたんだっけ?」
美鶴はあっけに取られたような、呆れたような表情でしばし亘を見詰めていたが、額に手をやるとため息とともに呟いた。
「俺は亘が、・・・俺があんな事したから怒ってるんだとずっと思ってた。・・・だから自分からは声がかけづらくて・・・つい、避けるような真似してたのに」
「え?だって、ボクは謝ろうと思ってたんだよ?そしたら美鶴がボクを避けるから。それでついボクも意地張っちゃって・・・それは悪かったけどさ」
少しだけ口を尖らせ、拗ねたように言う亘に美鶴は再び顔を近づけてくると、亘が思わずドキッ、とするくらい間近で瞳を覗きこみながら囁いた。
「まだ亘、酔ってるか?まだ頭フワフワする?」
「え?う、ううん・・・も、もう大分平気・・・だけ、ど」
「じゃあ、今度は忘れないで」
────え・・・・・・。
さらりと。
それはまるで雪のひとひらが唇にかするように舞い落ちてきたかのように。
ほんのひと時。ほんのわずか。
はらりと。
───ああ、そうだ・・・・。
あの時も。
あの日の雪が降り始めた帰り道。美鶴と歩いていて。天から降ってくる雪に嬉しくなって空を見上げて。自分のすぐ横に並んでいた美鶴に、きれいだねって声をかけようとして。
そしたら。
振り向いた途端。
何かがほんの一瞬、自分の唇をかすって。雪が自分の唇に舞い落ちてきたのかと思って。雪のひとひらが触れてきたのかと思って。
だってそれくらいかすかにしか触れなかったから。
でも。
でもそれは雪と違ってとても暖かくて。
ほんの一瞬だったのにとても暖かくて。
それで。
すぐ目の前にある美鶴のきれいな瞳の中に自分が大きく映ってて。それで───
「あ・・・・」
「・・・思い出した?」
亘は頬を真っ赤に染めながら、自分の唇に手を当てる。
美鶴が目を細めて微笑みながらまだすぐ間近で亘の瞳を覗きこんでいた。そしてやんわりと優しく亘の額にキスを落とした。
亘は首をすくめて思わず体をカチン!と、凝固させる。
「わっ・・・だ、だめ!またフワフワするっ・・!」
「まだ酔ってるか?」
「わ、わかんない。でも・・・ド、ドキドキしちゃうからっ!」
「フワフワして。・・・ドキドキして。・・・俺もしてるから」
「ん・・・み、みつっ・・」
雪はもう止んでいる。
だから何度も亘にかすかに触れてくるこの感触は雪じゃない。触れてくるそれは冷たくはなく、むしろ雪を溶かしてしまいそうなほど熱い熱なのだから。
そんなこともう亘にはとっくに───わかっている。
だったら。
もうこの熱を忘れないように。今日、この日に触れてきた優しいぬくもりを忘れないように。
今日間違いなく二人、寄り添い合ったことを忘れないように。
亘は頭だけではなく、体もフワフワしてきて訳がわからなくなりそうになりながらも、触れてくる美鶴の背中にそっと手を伸ばして、自分から美鶴に近づいていった。
───かすかに触れていたぬくもりがその瞬間、深く深く重なりひとつになる。
亘はまだお互いの息がかかる間近な距離だけほんの少し顔を離すと、まだ赤い熱を帯びた瞳で美鶴の瞳をまっすぐ見詰めながら。
今日ずっと伝えたかった言葉を口にした。
「メリークリスマス・・・美鶴」
「メリークリスマス・・・亘」
言葉と同時に二人は微笑みあいながら、もう一度ゆっくりぬくもりを重ねる。唇だけではない全ての暖かさも共に。まるで溶け合ってしまうかのように。
雪明りに照らされて映る、いつまでも離れない二人の影の上に、最後の最後の名残の雪のひとひらがどこからとも無く舞ってきて───・・・・そっと消えていった。
きよしこのよる こいしこのよる ゆきふるよる
ふたりこのよる ともにこのよる
───それは、・・・・愛しいキミと。